金銀山で有名な佐渡へ。古民家宿から始まる島旅
金銀山で有名な佐渡島へ行ってきました。
今回は土曜日の朝に福井を出発し3、日本海側を北上。
新潟からフェリーに乗り、海を渡って佐渡へ向かいました。ここでちょっとびっくりネタですが、海猫が飛びながら、河童えびせんを取りに来るんです。これにはかなり驚きでした。
フェリーに乗る時にはその前に河童えびせんを買うことをお勧めします。
さて、本題へ移りまして、佐渡といえば、まず思い浮かぶのはやはり佐渡金山です。
金や銀を産出した島として知られていますが、実際に訪れてみると、鉱山の歴史だけではなく、古い町並みや海辺の風景、島で暮らす人たちの空気感など、いろいろな魅力が重なっている場所でした。
今回の旅で、もうひとつ楽しみにしていたのが「宿」でした。
前回、白馬を旅した時に、たまたま泊まったペンションが外国人の方が経営する宿でした。(ちょっと写真で紹介)









そこは、海外の人が見た「素敵な日本」が形になったような場所で、建物の雰囲気や部屋の作り、壁一面に描かれた絵など、今まで泊まった宿とは少し違う斬新さがありました。
日本人が見慣れている日本ではなく、外から見た日本の美しさ。
そんな視点がとても新鮮で、すっかり味を占めてしまいました。
そこで今回の佐渡旅でも、同じように外国人の方が経営されている古民家リノベーションのお宿を選んでみました。
古い日本家屋を活かしながら、どこか海外の感性も入っている。
昔ながらの日本の暮らしの雰囲気と、新しい感覚が混ざったような宿で、佐渡の旅はそこから始まりました。
フェリーで島に渡り、古民家の宿に泊まり、金銀山の歴史を訪ねる。
今回の旅は、そんな少し特別な佐渡時間を感じる旅になりました。
夜に着いたこともあり、最初に『国史跡 北沢浮遊選鉱場跡』にいってライトアップを楽しみました





なかなかの大迫力といかに大量の鉱石を分別していたかがわかります。
そして、お宿の雰囲気も乗っけておきますね。(もしかして、ターゲットは日本人ではなく、台湾や東南アジアの人だったのかもしれません)









1階はバーになってるのかもしれません。
基本、二人以上の設定になっているのでしょうか?
とても部屋は広い間取りになっていました。
こんな感じのお宿に最近ハマってますね。
6時前から行動したので、お店はまだやっていなかったので、南の方にバイクを走らせ、前日」YouTubeで予習した、『あめやの桟橋』→『恋するバス停(背合/せなごうのバス停)』→『経島(矢島・経島)』へ向かいましたよ。





ま〜なんとも風光明媚な所でしょう🤓
と、いい時間になってきたので佐渡と言えば『とき』でしょう?とばかりに、朝早くからやっている『トキの森公園』へ、それがここ、なかなかの厚い施設で、ときに対する熱い思いや・こだわりが満載の施設でしたよ、ぜひ足を運んでもらいたい施設でした。
ま〜顔と足が赤いってあなた〜なんと可愛らしい🤓
っと言った感じでしょうか?
そろそろ本題の金銀山へ向かいます。
その前に、佐渡が見渡せると聞いたので『大佐渡スカイライン』へそこに向かう途中、なんだか以前にも見た光景が、『航空自衛隊 佐渡分屯基地』やはりここは、日本海の航空を守るカナメなんですね。



確か、以前見たのは丹後半島だったと思います。
見守ってくれて、ありがとうございます。
で、佐渡金銀山で感じた、近代化と電気の力についてそろそろ始めていきます。
佐渡金銀山を見て一番印象に残ったのは、江戸時代から続いた鉱山でありながら、近代化を早くから進め、そして平成の時代まで採掘が続いていたということでした。
佐渡金山というと、どうしても江戸時代の金山というイメージが強いですが、実際に見学してみると、それだけでは終わらない長い産業の歴史がありました。
特に印象的だったのが、電気の存在です。
坑道内で使われていたバッテリー式のトロッコ電車。
電動ライトを積み込んだ重機。
そして展示されていた機械の中には、バッテリーフォークリフトでお馴染みの「ニチユ」の文字もありました。
今でこそバッテリーや電動化という言葉は当たり前のように聞きますが、鉱山のような過酷な現場では、早くから電気やバッテリー技術が必要とされていたのかもしれません。
暗く、狭く、空気も限られる坑道の中では、排気ガスを出す機械よりも電動の機械の方が都合が良い場面も多かったはずです。
そう考えると、鉱山という場所は単に金や銀を掘る場所ではなく、機械技術や電気技術が磨かれていく現場でもあったのだと感じました。
展示では、実際に採掘に使われた機械だけでなく、それらを修理するための旋盤なども見ることができました。
鉱山を動かすには、掘る機械だけでは足りません。
機械を直し、部品を作り、現場に合わせて改良していく技術も必要です。
このあたりは、足尾銅山や神岡鉱山を見た時にも感じたことですが、鉱山には「掘る技術」だけでなく、「支える技術」が集まっていたのだと思います。
江戸時代から続いた、水との戦い
もうひとつ印象に残ったのは、水との戦いです。
佐渡金銀山では、江戸時代にはすでに海抜0メートルを下回る場所まで掘り進めていたとのことでした。
鉱山にとって、水は大きな敵です。
掘れば掘るほど水が出てきて、それをどう排水するかが鉱山の命運を左右します。
金や銀を掘るという華やかな言葉の裏側には、常に水を抜き続ける作業がありました。
人力での排水から始まり、やがて機械化・電動化へと進んでいく。
そこにも、佐渡金銀山の長い技術の積み重ねを感じました。
産業を支えた人たちの姿
展示の中では、そこで働いていた人たちの暮らしにも触れられていました。
特に興味深かったのは、労働者の中には罪人も駆り出されていたという話です。
鉱山の仕事は、過酷で危険な作業だったはずです。
その中で、さまざまな立場の人たちがこの産業を支えていたことを考えると、金銀山の歴史は単なる技術や経済の話だけでは語れないと感じます。
また、展示の中で印象に残ったのが、妊婦さんの人形のセリフでした。
早く仕事を終わらせて、あの子に会いに行きたいね」
そんな言葉から、鉱山の周辺には働く人たちの暮らしがあり、家族があり、そして遊郭のような存在もあったのだろうと感じました(労働者の寿命は短かったとの事でした)
華やかな金銀の産出の裏側には、過酷な労働があり、それを支える町があり、人の欲や生活もありました。
ここでもやはり、産業というものは機械や技術だけでなく、人間の暮らし全体によって成り立っているのだと改めて感じました。
佐渡金銀山は、古い鉱山ではなく「生き続けた鉱山」だった
佐渡金銀山を見て感じたのは、ここは単なる江戸時代の史跡ではないということです。
江戸時代から始まり、近代化を進め、電気や機械を取り入れ、平成まで採掘が続いた場所。
その長い時間の中で、人力の時代、機械化の時代、電動化の時代が重なって残っていました。
佐渡金銀山は、昔の鉱山というより、時代に合わせて変わりながら生き続けてきた鉱山だったのだと思います。
ここでは、神通川で起こった様な鉱毒被害わ海までの距離も短っかったこともあり、あまり大きな問題にはならなかった様ですが、今も尚中和して、排水はしている様です。
光と影でしょうか?
最後に、写真で紹介して終わりたいと思います


















金銀は、やはり利益を生みやすいのでしょうか?
単価が、合わなくなったとは言え、令和まで生産が続けられた事はかなり驚きです。
佐渡金銀山は平成まで採掘が続いた鉱山でしたが、現在の日本で商業規模の金採掘を続けている場所としては、鹿児島県の菱刈鉱山が知られています。佐渡が歴史の鉱山だとすれば、菱刈は今も生きている現役の金山と言えるのかもしれません。菱刈鉱山の説明を乗っけておきます。
鹿児島県北部に位置している菱刈鉱山は、鉱石1トン中に含まれる平均金量が約20グラムという高品位(世界の主要金鉱山の平均品位は3〜5グラム)を誇っており、1985年の出鉱開始以来、安定して金の産出をしています。
過去には日本国内にも多数の金属鉱山が存在していましたが、今日では菱刈鉱山が商業規模で操業を継続している国内の最大の金鉱山となっています。

全体のムービを乗っけておきます
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