あゝ野麦峠って映画泣けますね〜

繊維の歴史をたどる旅
昨年のツーリングで、野麦峠を訪れました。
映画『あゝ野麦峠』で知られる場所です。
峠の茶屋に立ち寄ったとき、そこに映画のパネルが並んでいました。

若い女工さんたちが、飛騨から信州の製糸工場へ向かうために越えた峠。
その歴史を知ってはいたものの、実際にその場所で映画の写真や説明を見たときは、かなり痺れました。
雪や寒さの中、歩いてこの峠を越えていった若い女性たちのことを思うと、胸にくるものがありました。
野麦峠は、ただ景色のいい峠ではありません。
日本の近代化を支えた繊維産業の、ある意味で原点のような場所でもあります。
その記憶がずっと残っていたこともあり、今回は岡谷で繊維について勉強してきました。
岡谷といえば、かつて日本の製糸業を支えた町です。
明治から大正、昭和にかけて、諏訪湖周辺には多くの製糸工場が集まり、日本の絹産業の中心地として発展しました。
生糸は当時の日本にとって、非常に大きな輸出品でした。
今で言えば、半導体や自動車に近いような、国を支える産業だったのだと思います。
岡谷の町で繊維の歴史を学んでいると、野麦峠で感じたことがつながってきます。
山を越えて働きに出た女工さんたち。
その人たちが支えた製糸工場。
そこから生み出された生糸。
そして、その生糸が日本の近代化を支えていった。
私自身も繊維に関わる仕事をしていますが、改めて考えると、糸というものは本当に奥が深いです。
岡谷で見た製糸の歴史は、現在の繊維産業とはもちろん形が違います。
しかし、糸を扱うという点では、今の自分たちの仕事にもどこかつながっているように感じました。
岡谷といえば、かつて日本の製糸業を支えた町です。
明治から大正、昭和にかけて、日本の近代化を支えた重要な産業のひとつが繊維でした。
足尾銅山などの鉱山資源と並び、絹織物や生糸は日本に外貨をもたらす大切な輸出品でした。
当時の日本が近代国家へと進んでいくための資金を得るうえで、絹織物はとても大きな役割を果たしていたのだと思います。
実際、日本の絹織物の生産は、かつてイギリスを抜き、世界一になったこともあったそうです。
今でこそ、繊維産業というと少し昔の産業のように思われることもあります。
しかし当時の絹織物は、まさに日本の主力産業でした。
現在で言えば、自動車や半導体のような存在だったのかもしれません。
では、その世界一の生産を支えていたのは誰だったのか。
それは、近隣の農村から集まってきた若い女工さんたちでした。
多くの若い女性を集めるために、工場では「ご飯とお味噌汁はおかわり自由」だったそうです。
働く女工さんたちにとって、しっかり食べられることは大きな魅力だったのでしょう。
そのため、大量の味噌が必要になりました。
岡谷では多くの製糸会社が自社で味噌蔵を持ち、味噌まで生産していたそうです。
繊維の町には、繊維だけでなく、食を支える産業も生まれていたのです。
しかし、繊維産業の衰退とともに、そうした味噌蔵も減っていきました。
かつて45軒あった味噌蔵は、今では25軒ほどに減ってしまったとのことでした。
ひとつの産業が栄えると、周辺の産業も栄える。
反対に、その産業が衰退すると、地域の暮らしや食文化にも影響が出る。
岡谷の繊維と味噌の話を聞いて、産業というものは本当に地域全体を動かしているのだと感じました。
そして、この話は私の住む勝山市にもつながります。
かつて勝山も、繊維王国と呼ばれるほど繊維産業が盛んな町でした。
青森、福島、長崎など、遠く離れた地域から、数千人単位で女工さんたちが来ていたと聞きます。
高校卒業資格が得られるということで、多くの若い女性が勝山へやって来たそうです。
親元を離れ、知らない土地で働きながら学ぶ。
今考えても、相当な覚悟が必要だったと思います。
野麦峠を越えた女工さんたち。
岡谷の製糸工場を支えた女工さんたち。
そして、勝山の繊維産業を支えた全国各地からの女工さんたち。
日本が世界一の絹織物生産を誇るまでになった背景には、こうした若い女性たちの働きがありました。
私たちはつい、産業の歴史を語るときに、工場や機械、会社、経営者、技術の話を中心に見てしまいます。
もちろんそれらも大切です。
しかし、その現場で実際に糸を扱い、機械を動かし、日々働いていたのは、多くの若い女工さんたちでした。
その人たちの力があったからこそ、日本の繊維産業は発展し、輸出によって国の近代化を支えることができたのだと思います。
あの峠を越えた先に、日本の近代化を支えた工場があった。
その工場を支えたのは、名もなき若い女性たちだった。
そして、その歴史は岡谷だけでなく、勝山にも確かにつながっている。
繊維の仕事に関わる者として、今回の学びはとても大きなものでした。
繊維産業は、ただ布や糸を作ってきた産業ではありません。
日本の近代化を支え、地域を育て、多くの人の人生を背負ってきた産業だったのだと思います。
今回の岡谷での学びは、繊維という仕事に対する誇りを、もう一度思い出させてくれる旅になりました。
最後に、何枚か写真を紹介します。

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