大野市と南信州を繋ぐ国道418号線の訪ねる旅をしてきたぞ😊

今回、国道418号線を走りながら、南信州まで旅をしてきました。

国道418号線というと、知っている人ならまず、

「山の中を走る国道だよね」

とか、

「酷道として有名な道でしょう?」

なんてイメージを持っている人も多いんじゃないでしょうか。

実際、国道418号線は福井県大野市から岐阜県を横断し、長野県飯田市方面へと続く、かなり長い国道です。

でも今回、実際に走りながら南信州まで行ってみて、

「この道って、ただ山の中をつないだ国道じゃないんだな」

と改めて思ったんです。

というのも、国道418号線ができるはるか昔から、この地域には人が暮らし、それぞれの土地で産業があり、山を越えて人や物が行き来していました。

昔から「大野から飯田まで一本の街道」があったわけではありません。

むしろ、それぞれの地域にあった交易路や生活道路が、時代とともに少しずつ整備され、後になって一本の国道としてつながっていった。

そう考えると、国道418号線という道が急に面白く見えてきます。

まずは越前大野から美濃へ

福井県大野市周辺は、昔から完全に山で閉ざされていたわけではありません。

現在の国道157号や156号周辺には、越前街道や郡上街道、白山信仰の参詣路などがあり、人々は山を越えて行き来していました。

郡上八幡より北側の道は越前街道とも呼ばれ、越前と美濃をつなぐ重要な道だったんですね。

しかも江戸時代には、郡上藩の領地が越前大野郡にも存在していました。

今なら福井県と岐阜県という県境がありますが、当時は今ほどはっきり生活圏が分かれていたわけではなかった。

そう考えると、

大野 → 郡上 → 美濃

という人や物の流れは、国道418号線ができる何百年も前から存在していたことになります。

大野は日本海と内陸をつなぐ場所でもあった様です。

もう少し広く見ると、大野の立地も面白いんです。

大野や勝山は九頭竜川水系の上流にあります。

その先には福井平野があり、日本海側には三国湊があります。

三国湊には北前船が行き交い、日本海沿岸や上方から米や塩、海産物、肥料、生活物資など、いろいろなものが運ばれてきました。

そう考えると、

日本海

三国湊

福井

勝山・大野

山を越えて美濃へ

という大きな物流の流れが見えてきます。

もちろん、一つの荷物がそのまま日本海から飯田まで運ばれたという話ではありません。

各地域の町や村が中継点になって、人から人へ、地域から地域へと少しずつ物が渡っていく。

昔はそうやって経済圏がつながっていたんでしょうね。

郡上、美濃に入るとまた違う文化が見えてくる

大野から山を越えて郡上、そして美濃へ入ると、今度は長良川流域の文化や産業が見えてきます。

山では木材や炭などが生産され、美濃では美濃和紙という大きな産業がありました。

紙を作るには楮などの原料が必要です。

完成した紙は岐阜や中山道方面へ運ばれていきます。

そのため、郡上街道や津保街道、飛騨方面へ向かう道など、たくさんの地域街道が発達しました。

ここで面白いのが、

川と道がセットになって地域経済を支えていた

ということです。

山から木材などが出てくる。

川が物を運ぶ。

街道を使って人や商品が動く。

そして町が発展する。

今では道路ばかりに目が行きますが、昔は川そのものが大きな交通路だったんですよね。

美濃から東濃、そして南信州へ

国道418号線をさらに東へ進むと、美濃加茂、八百津、恵那方面へ入ります。

このあたりから、今度は木曽川流域や東濃の経済圏へと変わっていきます。

そして岐阜県東部からさらに山を越えると、いよいよ南信州です。

岩村、上矢作方面から平谷、売木、阿南、天龍、そして飯田市南信濃方面へと入っていきます。

ここまで来ると、同じ山間部でも景色がまた変わります。

谷が深い。

山肌に集落が張り付くように建っている。

道路もどんどん細くなっていく。

走りながら、

「ここでどうやって生活してきたんだろう?」

と思わされるような場所が何度も出てきます。

でも、こういう山の中だからこそ道が必要だったんですよね。

南信州では昔から、伊那街道や秋葉街道、中馬による輸送などによって、伊那谷と三河、遠州方面との交流が行われてきました。

山の中で生活するには塩が必要です。

米や雑穀も必要です。

逆に山からは木材や炭が出ていく。

お茶もある。

養蚕に関係する品物も動く。

日用品も必要になる。

つまり、

山だから物流がなかったのではなく、山だからこそ物流の道が重要だった

ということなんでしょうね。

そう考えると国道418号線は、

越前・大野

郡上

美濃

東濃

南信州

と、それぞれ独立して発展してきた経済圏を横につないでいる道だということが分かります。

昔から大野と飯田を直接結んでいた一本の街道ではない。

でも、それぞれの地域にあった道をつないでいくと、結果として現在の418号線のような一本の大きなルートになった。

まさに、

いくつもの経済圏をつないだ「山の交易回廊」

そんな見方もできるんじゃないでしょうか。

そして今回、その418号線をたどって向かった目的地のひとつが、長野県の天龍村でした。

今回の目的地のひとつ、天龍村へ

いや〜、天龍村まで来ると本当に山が深い。

右を見ても山。

左を見ても山。

谷の奥まで小さな集落が点々と続いています。

そして道がまた細いんです。

場所によっては車一台がやっと通れるくらい。

対向車が来たら、

「どっちがどこまでバックする?」

というような道もあります。

道路脇には、

「急カーブ多し スピード落とせ」

なんて看板もありましたが、

「いやいや、言われなくてもそんなにスピード出せませんから(笑)」

と言いたくなるような道が続きます。

でも、こういう道を走っていると、

「昔からこの道が生活そのものだったんだろうな」

ということがよく分かります。

天龍温泉 おきよめの湯へ

そして、この日の疲れを取るために向かったのが、

天龍温泉 おきよめの湯。

ここが想像以上に良かったんです。

館内に入ると、壁には表彰状がずらっと並んでいます。

よく見ると、

泉質ランキング1位。

さらに、

3年連続 泉質ランキング1位。

2023年、2024年、2025年と何年も上位に選ばれているんですね。

しかも泉質は、

pH9.6のアルカリ性。

実際に入ってみると、肌に触れた瞬間、

「おっ、これは違うな」

と思いました。

お湯がヌルッとしていて、とても柔らかいんです。

長時間の山道を走った後だったこともあって、本当に気持ちよかった。

ランキングというものは人それぞれ感じ方も違うでしょうが、

「なるほど、何年も1位になるのも分かるなあ」

と思えるお湯でした。

温泉に入った後にはソースカツ丼。

山道を走った後の、少し濃いめの味。

これがまたうまい(笑)。

温泉に入って、お腹もいっぱい。

もうこの時点で、かなり満足してしまいました。

まさか最後の一棟。森のコテージへ

さて、この日の宿をどうしようかと探してみると、おきよめの湯のすぐ近くに、

おきよめの郷 森のコテージ

という宿泊施設がありました。

電話をしてみると、

なんと残っていたのは最後の一棟。

これはもう、

「今日はここに泊まりなさい」

と言われているようなものです(笑)。

ということで、そのまま泊まることにしました。

名前の通り、森の中に建つ木造のコテージ。

豪華なホテルではないんですが、これがこの旅にはぴったりでした。

夏なので夕方くらいまでは暑さもあります。

ところが夜が深くなるにつれて、山の空気がどんどん冷えていくんですよね。

夜中にはすっかり涼しくなり、

「これは気持ちいいなあ」

と思いながら、そのままぐっすり眠ることができました。

朝起きて外へ出てみると、山にはうっすら霧。

雨に濡れた花が咲いていて、その奥に山々が重なっています。

高速道路を走って町中のホテルに泊まっていたら、たぶん出会えなかった景色です。

こういう時間も、山間部をゆっくり旅する楽しさなんでしょうね。

翌朝は中井侍の茶畑へ

そして翌朝。

天龍村まで来たからには、ぜひ見ておきたかったところがあります。

それが、

中井侍の茶畑。

長野県でお茶というと、

「長野でお茶?」

と思う人もいるかもしれません。

でも天龍村は長野県のかなり南にあります。

愛知県や静岡県にも近く、天竜川沿いでは昔からお茶が栽培されてきました。

中井侍へ向かう道は、これまたすごい。

とにかく細い。

急カーブ。

急坂。

片側は山。

反対側は谷。

すれ違いのできないような場所もたくさんあります。

でも、その細い道を登っていくと、突然目の前に茶畑が広がるんです。

これが本当に見事でした。

山の斜面に沿って、茶畑が何段にも連なっています。

平らな土地に畑を作ったというより、

山そのものを茶畑にした

という感じです。

実際に目の前で見ると、

「よくこんな急斜面で毎年お茶を作るなあ」

と感心してしまいます。

現地の案内を見ると、中井侍では長い年月をかけて、お茶農家の皆さんがこの景観を守り続けてきたそうです。

天竜川から上がる朝霧(いい標高に茶畑が)

山間部ならではの寒暖差。

適度な日照。

そういった条件の中で、柔らかく、苦味の少ない茶葉が育つ。

この急斜面を実際に見てからその話を聞くと、

「これは本当に大変な仕事だなあ」

と実感します。

でも、その大変さがあるからこそ、ここにしかない景色とお茶が残っているんでしょうね。

古い道のすぐ横で、新しい道が造られている

そして天龍村周辺を走っていて、もう一つ印象に残ったことがあります。

それは、

昔ながらの細い道路のすぐ横で、新しい道路の整備が進んでいること。

こちらは対向車とすれ違うこともできないような道を走っている。

ところが、その先では大きな橋が造られていたり、トンネル工事が進んでいたりする。

国道151号。

国道152号。

国道418号。

そして三遠南信自動車道。

今、この南信州から三河、遠州へ向かう道路網が少しずつ整備されているんですね。

実際にこの辺りの細い道を走ると、

「そりゃ新しい道路が必要だわ」

と思います。

大雨で一本の道路が崩れれば、集落が孤立する可能性もある。

救急車も通る。

物流もある。

地域に暮らす人にとって、道路は単なる便利な移動手段ではなく、

生活そのものを支える生命線

なんですよね。

そして、その先に立ちはだかる青崩峠

この地域の道路を語るうえで外せないのが、

青崩峠。

南信州から静岡県浜松方面へ抜けようとすると、この大きな山岳地帯が立ちはだかります。

昔から伊那と遠州を結ぶ道として使われてきましたが、地質が非常にもろく、道路工事が難しいことで知られています。

国道152号も、この青崩峠付近では昔から大きな難所になっています。

現在は三遠南信自動車道の青崩峠道路として、新しいルートの整備が進められています。

今回周辺を走っていても、

立派な新しい道。

大きな橋。

トンネル。

そういったものが少しずつ完成してきているのが分かりました。

ところが、その立派な道が終わると、

また急に、

「えっ、ここ?」

というような細い道になる(笑)。

この落差がすごいんです。

南信州と浜松を結ぶ道は、昔から必要とされてきました。

でも山が深く、谷が険しく、地質も難しい。

だから今でも、何十年という時間をかけながら少しずつ道が造られている。

実際にその場所を走ってみると、

「道路一本通すというのは、本当に大変なことなんだなあ」

と改めて感じます。

昔の道と、今の道と、これからの道

今回の国道418号線の旅を振り返ってみると、なんだかこの道そのものが、日本の山間地域の歴史を見せてくれているような気がしました。

越前には日本海の文化がある。

大野を越えれば郡上や白山の文化がある。

美濃に入れば和紙や長良川。

東濃へ行けば木曽川。

そして南信州へ来ると、伊那谷や天竜川の文化が見えてくる。

天龍村にはお茶がある。

その先には遠州や浜松がある。

山を一つ越えるたびに、文化も産業も少しずつ変わっていく。

でも完全に分かれているわけではないんですよね。

昔から人が歩き、

馬が荷物を運び、

塩が運ばれ、

米が運ばれ、

木材や炭が運ばれ、

紙が運ばれ、

お茶が運ばれてきた。

そうやって隣の地域、そのまた隣の地域へと、人や物が受け渡されてきた。

そして、その道を後の時代になって整備し、一つの国道としてつないでいった。

そう考えると国道418号線は、単なる「酷道」ではなく、

越前、美濃、東濃、南信州という、いくつもの経済圏をつないできた山の交易回廊

と言ってもいいのかもしれません。

今回の旅では、

国道418号線を走り、

天龍温泉おきよめの湯に入り、

最後の一棟だった森のコテージに泊まり、

山の涼しい夜を過ごし、

翌朝には細い山道を登って中井侍の茶畑を見る。

そして、そのすぐそばでは、次の時代につながる新しい道路が造られている。

昔の道。

今の道。

そして、これからの道。

その三つを一度に見ることができたのが、今回の国道418号線・南信州の旅だったような気がします。

道を知ると、その土地の見え方が少し変わります。

「どうしてこんなところから240kmも離れた福井まで道があるんだろう?」

そんな疑問を持ちながら走ると、普通なら通り過ぎてしまう山や集落にも、何百年という人の暮らしが見えてくる。

国道418号線。

なかなか面白い道でした。
平泉寺の参道も美濃地方に延びていたと思われます。(焼き打ちにあった時に、美濃地方に避難した人もいたと聞いています)
今後とも、平泉寺と周辺地域との繋がりなど調べていきたいと思います
最後に今日の旅行のムービーを紹介して締めたいと思います

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