天空の城から鉱石の道、有馬温泉へ―兵庫の山と産業の歴史をたどる旅
9月12日から13日にかけて、兵庫県の山あいを巡る旅に行ってきました。
今回のコースは、
伊根の舟屋
→ HOTEL R9 The Yard 丹波
→ 竹田城跡
→ 神子畑選鉱場跡
→ 生野銀山
→ 有馬温泉
という、山城と鉱山、温泉をつないだコースです。
結果的には、ただ観光地を巡るだけではなく、兵庫の山の中に残る産業と歴史をたどる旅になりました。
伊根の舟屋は2回目なのでサクッと
初めてのコンテナ型のおやど「HOTEL R9 The Yard 丹波」
12日は伊根の舟屋を見学したあと、初めて「HOTEL R9 The Yard 丹波」に宿泊しました。
コンテナ型の客室が横一列に並ぶ、一般的なビジネスホテルとは少し違った造りです。
外から見るとコンテナですが、それぞれが独立した部屋になっているため、隣室の音をあまり気にせず過ごせるところは、移動の多い旅にも合っているように感じました。








翌朝は早起きして、まず竹田城跡へ向かいます。
行って初めて分かった竹田城
竹田城といえば、雲海の上に城跡が浮かぶ「天空の城」の写真を思い浮かべます。
ところが、現地に行って初めて気が付きました。
よく見る「雲海に浮かぶ竹田城」の写真は、竹田城の中から撮った景色ではなく、向かい側の立雲峡などから竹田城を眺めたものだったのです。
そして、もう一つ知らなかったのが、城跡まで簡単に行けるわけではなかったこと。
駐車場から竹田城跡までは、約40分の登り道です。
軽い散歩のつもりで来ると、思った以上にしっかりとした登山になります。
「天空の城を見るには、まず自分が天空まで登らなくてはいけないのか」
そんなことを思いながら、朝の山道を登っていきました。

















しかし、いざ城跡まで登ってみると、その疲れを忘れさせる景色が広がっていました。
眼下には竹田の町と山々が見え、その間を播但線の電車が走っていきます。
静かな山の上まで聞こえてくる、電車の小気味よい音。
列車が高架橋を渡っていく姿も、城跡から見ると、まるで風景の中を走る鉄道模型のようでした。
雲海に浮かぶ竹田城を見ることはできませんでしたが、竹田城から見下ろす町の景色と、山あいを走る電車の音は、実際に登った人にしか味わえないものでした。
これはこれで、とても良い竹田城でした。
佐渡で見た景色と重なった神子畑選鉱場跡
竹田城を下り、次に向かったのが神子畑選鉱場跡です。
早い時間だったこともあり、人影はほとんどありません。
静かな山の中に、巨大なコンクリートの構造物と、鉱石を運んでいた設備が残っています。














歩きながら、
「なんだか、以前にも見たことがあるような風景だな」
と思いました。
しばらくして、その理由が分かりました。
佐渡金山で見た北沢浮遊選鉱場と、とてもよく似ているのです。
山の斜面を利用して鉱石を上から下へ移動させながら処理する構造や、大きなすり鉢状のシックナーなど、基本的な設備の考え方が共通しています。
ただ、実際に歩いてみると、神子畑選鉱場跡は佐渡で見たものより大きく感じられました。
機械類も残されていて、案内板の説明も分かりやすいため、当時ここでどのように鉱石が運ばれ、選別されていたのかを想像しやすかったのも印象的でした。
美しく整備された遺跡を見るというより、山の中に突然、巨大な工場の骨格が現れる感じです。
静かな場所だからこそ、かえって当時の規模と迫力が伝わってきました。
生野銀山の主役は「地下アイドル」?
続いて、生野銀山へ向かいました。
坑道の中は涼しく、かつて鉱夫たちが働いていた様子が、マネキンを使って再現されています。
そして、生野銀山といえば、やはり「地下アイドル」でしょうか。

その名も「GINZAN BOYZ」。
坑道の中では、さまざまな作業をするマネキンさんたちが説明してくれるのですが、どの方もかなり目力が強めです。
暗い坑道の中で突然目が合うと、説明より先に、その真剣な表情が気になってしまいます。


少しユーモラスな展示ですが、昔の採掘方法から近代的な鉱山技術まで、実際の坑道を歩きながら学べるところは、生野銀山の面白さだと思います。
銀山から「銀本位制」の話へ

今回、生野銀山を見学していて気になったのが、日本の通貨と銀の関係です。
私はこれまで「銀本位制」という言葉さえ、ほとんど意識したことがありませんでした。
明治4年の新貨条例で、日本はもともと金本位制を目指しました。
ところが、当時のアジアでは銀を使った取引が多く、日本でも1885年から銀貨と交換できる日本銀行券が発行されたため、実質的には銀本位制になっていきます。
しかし欧米諸国が金本位制へ移るにつれて、銀の価値は金に対して大きく下落しました。
銀を基準としていた日本の円も、金本位制の国から見ると安くなります。
今風にいえば、大幅な円安が進んだような状態です。
円安によって輸出は有利になりますが、その一方で輸入品の価格が上がり、国内物価も上昇します。さらに、金本位制の欧米から資金を呼び込みにくいという問題もありました。
この状況を大きく変えたのが、日清戦争後に清国から受け取った賠償金です。
日本は賠償金をイギリスのポンドで受け取り、それを金本位制へ移行するための準備に使いました。
そして1897年、日本は正式に金本位制へ移行します。
流れを簡単にまとめると、
銀を基準にした通貨
→ 世界的な銀価格の下落
→ 円安と輸入物価の上昇
→ 欧米との取引や資本導入に不利
→ 日清戦争の賠償金で金準備を確保
→ 1897年に金本位制へ移行
ということになります。
銀山を見に来たことから、日本の通貨制度や国際貿易の歴史にまで話がつながるとは思いませんでした。
実際に現地を歩くと、教科書では気に留めなかった言葉が、急に具体的な意味を持ってくるものです。
コースをムービーで紹介します
思った以上に遠かった有馬温泉
生野銀山を出たあとは、この旅の最後のお楽しみ、有馬温泉へ向かいました。
ところが、高速道路を使っても約1時間。
地図で見ていたときは、それほど離れているように感じなかったのですが、実際に走ると思った以上の移動距離でした。
遠方まで来ると、どうも地図上の距離感が狂ってしまいます。
谷あいに広がる、おしゃれな温泉街
初めて訪れた有馬温泉の印象は、
「谷川と、おしゃれなお店がたくさんある温泉街」
といったところでしょうか。
古くからの建物や細い道を残しながら、若い人や外国人観光客も入りやすい、今風のお店が並んでいます。
倉敷美観地区を歩いたときにも感じましたが、昔の町並みを守るだけではなく、街全体をきれいに整え、現代風にアレンジしているところに活気が生まれるのかもしれません。
今回歩いたコースは、
吉高屋
→ 有馬温泉街
→ 浪花鮓・まえなか
→ 湯泉神社
→ 有馬温泉 金の湯
です。
吉高屋ではお香を見て、吉高屋紹介してもらった「浪花鮓・まえなか」で食事をいただきました。

散策途中には「有馬カラクリタマゴ」も。
外側は香ばしく、中は卵の風味が感じられる、歩きながら食べるのにちょうどよいお菓子でした。


湯泉神社へお参りしたあとは、金の湯に入ります。



金の湯は、鉄分と塩分を含んだ独特の黄金色の温泉です。
Googleマップのコメントです

少し熱めのお湯でしたが、不思議と意外に長く入ることができました。
周りの人を見ていると肌のきれいな方が多く、
「もしかすると、この温泉には美肌作用もあるのだろうか」
と思ってしまいます。
金泉は塩分濃度が高く、皮膚の表面に薄い塩の膜ができるため、湯上がり後も身体が冷めにくいのが特徴だそうです。
筋肉や関節のこわばり、冷え性、末梢循環、疲労回復などにも効果が期待されています。
毎週温泉に入っている私にとって、有馬の金泉は、やはり今回の旅の締めくくりにふさわしいお湯でした。
活気のある街で感じた、少し意外なこと
有馬温泉は歴史のある温泉街だけあって観光客も多く、街全体に活気がありました。
外国の方も多かった一方で、少し驚いたのが、現金のみのお店が多かったことです。
これだけ海外からの観光客が訪れる場所で、なぜキャッシュレス化があまり進んでいないのか。
昔ながらの小さなお店が多いことも理由なのかもしれませんが、街を歩いていて少し気になったところでした。
有馬温泉の写真を何枚か追加しておきます












なんとも激坂の街でしたが、とても楽しめる街でした
六甲山は、次回の楽しみに
本当は最後に六甲山まで行きたいと思っていました。
しかし雨雲レーダーを見ると、帰り道に雨雲がかかり、遅い時間になるほど雨脚も強くなる予報です。
無理をせず、六甲山は次回の楽しみに残して帰ることにしました。



帰り道では、福知山付近で雨雲と追いかけっこ。
少し元気よく走る区間もありましたが、全般的には交通量が多めで、ゆっくりと走ることができました。
竹田城から見下ろした山と鉄道。
佐渡の選鉱場と重なった神子畑の巨大な産業遺産。
生野銀山で知った銀と日本の通貨の歴史。
そして最後に入った、有馬温泉の黄金色のお湯。
景色を見て終わるのではなく、現地で初めて知り、そこからまた疑問が生まれる。
今回も、そんな良い旅になりました。
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