シルバーウィークの旅・中編|雲仙の赤い畑から、長崎の近代化をたどる
念願かなって、長崎です☺️(3年越しかもしれません)
朝早く走った雲仙への道。海が見えるたびにバイクを止めたくなるほど、どこを切り取っても絶景でした。
前日は雨雲と追いかけっこをしていたのに、この日は晴天☀️
晴れはバイク乗りへの、何よりのご褒美ですね。













道中、目を奪われたのが赤い畑です。島原半島は火山がつくった土地。海沿いの平地から畑が続き、山へ向かうにつれて空気がひんやりしてきます。同じ半島の中で景色が次々と変わるのが面白い。
下に降りてくると、あちこちに水田も見られました。
保水のある土地もあるんですね😁
あまりの急斜面に興奮して、思わず道の写真まで撮ってしまいました。すごい道だと思いませんか?😂

山の上では風が強く、予定していた峠までは行けませんでした。それでも、赤い畑と海、肌寒い山道まで走れて、雲仙を十分堪能しました。
長崎の街を、歴史の順に歩く
バイクを新大工町に停め、まずは諏訪神社へ。
立派な石の鳥居をくぐりながら、「この鳥居は原爆の時、どうなったんだろう」と考えていました。長崎で被爆した鳥居として知られるのは、山王神社の一本柱鳥居。あとで調べて、場所を取り違えていたことに気づきました。







続いて長崎歴史文化博物館へ。長崎奉行所や、出島を通じた海外との交易など、読み応えも見応えもたっぷりです。
砂糖や薬、陶磁器、織物。品物が長崎に入り、街道を通って各地へ広がっていく。展示を見ていると、長崎は海外の品を受け取る場所であると同時に、新しい知識が日本へ入る入口だったのだと感じます。
びっくりしたのは、ゾウさんまで輸入していたそうです。






ナマコは今でも精力剤としてそこそこ輸出されていたと思います。
海の掃除やさんみたいな一面もあり優秀な子ですね
あと15秒(昔のカメラの撮影時間)じっとして龍馬さんと写真コーナーがあったので思わずパチリ😆うれし〜ぃ
原爆資料館で考えたこと
原爆資料館、爆心地、平和公園にも足を運びました。
私が訪れた時は外国からの見学者が多く、展示の前で長く立ち止まる人たちの姿が印象に残っています。原爆だけでなく、核実験やその後の被ばくについても、改めて考えさせられました。




そして屋外へ出ると、緑が多い。
かつて「長い間、草木も生えない」と言われた場所です。広島でも感じましたが、今そこにある緑を見ていると、この街で暮らしを続け、育ててきた人たちの時間を思わずにはいられませんでした。
もう一つ、いい雰囲気の建物が多いですねここも長崎がお気に入りポイントですね























グラバー園で、産業のつながりが見えた
オランダ坂を歩き、大浦天主堂を経てグラバー園へ。オランダ坂は思ったより人が少なく、係の方の話も少し聞けて、ゆっくり楽しめました。
グラバー園では、今回の旅で見てきた鉱山と長崎の港が、自分の中でつながりました。
トーマス・グラバーが関わったのは、品物の売り買いだけではありません。高島炭坑への西洋の採炭技術の導入、船を修理する小菅修船場の建設など、石炭を掘り、船を動かし、産業を育てる仕組みに深く関わっていました。小菅修船場では、薩摩藩の五代友厚、小松帯刀と共同で事業を進め、蒸気機関の設備も輸入しています。
後には三菱とも関わり、キリンビールの前身となる会社では重役を務め、あの麒麟のラベルにも提案をしたそうです。息子の倉場富三郎も、長崎の水産業や魚類の記録に足跡を残しています。
鉱山で得た資源、海外から入る機械、それを動かす技術と人。近代化は一つの建物や一人の力で進んだのではなく、それぞれを結ぶ人たちがいて進んだのだと実感しました。
龍馬は、どこから活動資金を得ていたのか
グラバーから船や銃を買った坂本龍馬。ここで気になったのが、「そのお金はどこから出ていたんだろう?」ということです。
調べてみると、龍馬が自分の財産で買い付けていたわけではありませんでした。
1865年に長崎で亀山社中をつくった時は、薩摩藩や長崎の豪商・小曽根家が活動を支えていました。長州藩のために船や銃を調達する時には、薩摩藩の名義を使います。ただ、「薩摩の名前で買う」ことと「薩摩が代金を全部出す」ことは別。たとえばユニオン号は、費用を負担した長州側と、船をどう所有・運用するかでもめたそうです。
1867年、亀山社中が土佐藩に属する海援隊になると、今度は土佐藩から資金援助を受けるようになります。その窓口となったのが、土佐藩の長崎商会を任されていた岩崎弥太郎でした。隊士の給料を支払い、龍馬が求めた50両を用立てた記録もあるそうです。
ここで、ようやく私の中の「龍馬と三菱」がつながりました。
ただし、この時代に三菱という会社があったわけではありません。龍馬が亡くなった後、弥太郎は土佐藩の海運事業を引き継いだ九十九商会の経営に携わり、1873年に三菱商会を名乗ります。
長崎で龍馬たちの活動を支えた弥太郎が、明治には船と貿易の事業を大きく育てていく。鉱山、石炭、造船、海運を見てきた今回の旅で、そのつながりがようやく見えてきました。
繊維の仕事をしている私には、当時の日本で産業を育てていった人たちの姿が、今までより身近に感じられます。高校の修学旅行でも長崎に来たはずなのに、あの頃は展示をほとんど読んでいなかったなあ。今になって、ようやく面白さが分かった気がします😂
長崎はやっぱり坂道が多く歩いて歩いて歩き倒すイメージでしょうか?
また読み応えがある展示が多く1日たっぷり使ってしまいました。
実は端島なども行ってみたかったのですが、また今度って感じで☺️





















稲佐山、そしてガラスの砂浜へ
街を歩いたあとは、稲佐山山頂展望台へ。
車の後ろについてバイクで坂を上っていたら、予想以上に減速されて、危うくバランスを崩しかけました。上り坂の低速走行は気をつけないといけませんね😂

山頂からの景色は、とても綺麗。もう、それしか言葉が浮かびません。
夜に来たら、街の明かりがどんなふうに広がるんでしょう。次は夜景も見てみたいですね。











帰り道には、大村の「ガラスの砂浜」にも寄りました。再生したガラスでつくられた砂浜が光を受けてキラキラしています。きれいなだけでなく、生き物が暮らせる浅瀬をつくる試みでもあるそうです。材料の使い方を変えると、こんな景色が生まれるんですね。











行橋までが、思ったより長かった
この日の宿は「ホテルルートイン行橋」。
地図を見た時は、もう少し早く着けるつもりでいました。ところが九州自動車道が大渋滞。途中から下道に切り替え、思いのほか長い帰り道になりました😂
長崎で走った高速道路は、皆さん走行車線を使い、気持ちよく流れていた印象です。一方、夜の一般道ではゆったり走る車が続き、なかなか先へ進みません。慣れない土地を夜に走るなら、このくらいのペースが安心なのかもしれませんね。
雲仙の赤い畑から、交易と産業の街・長崎へ。景色を楽しみながら、鉱山や港の歴史までつながった一日でした。
さて、旅の最終日はここから後編へ続きます。
前編はこちら
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